『 留学は自分学になる 』夢への第一歩を応援しますニュージーランド留学エージェント ファナウ
カウンセラー のりこです。
日本は3連休明けですね。
いかがお過ごしでしょうか。
私は最近、インプットの情報過多で情報処理に追われていてすごく脳が疲れていたんだということに気付きました。
やっと情報処理能力が追いついてきたの?と、焦ってもしゃーない!
粛々と、淡々と丁寧に目の前にことを確実に行っていく、
無理して加速、急いで処理しなくてもいいと思え、丁寧に過ごしていました。
案外、この方が効率もよく、メンタルもやられないことに気付きました。
助産師としてお産のサポートをさせていただいていると、時として瞬発力を求められることもあったので、早く対応しなくては!と慌ただしさが身についていたんでしょうね。
でも、本来のお産は『 待つこと 』が大切な支援なんですよね。
お母さんも赤ちゃんも熟していない状況を急かしても、何もいいことはないのです。
赤ちゃんは自分の意志で産まれてくるんですよ。
何もわかっていないとお思いの方もいらっしゃいますが、お腹にずっと話しかけていると反応してくれたりしますしね。
自分が産まれてきたいタイミングで、
誰に教わるわけでもなく、
頭の骨を縮め(応形機能)、最小径で頭を回旋させながら産まれてくる、
みんなそうやって産まれてきた天才なのです✨
自分を褒めてあげてくださいね💕
今日は、日本に帰国して過ごしていて感じたことを書きたいと思います。
前もってお伝えしますが、私と関わっている人がみんなそうですという意見ではないです。
他の人とも話して、そうだよね~、そんな傾向あるかもと共感したことですし、それが決していいか悪いかと評価することではないことをご理解いただけたらと思います。
皆さんは【 二分法的思考 】ってご存じですか。
二分法的思考とは、
物事を「そう」か「そうでない」かで二分し、その間のグラデーションやどちらでもない状態を「ない」と思い込む、認知の歪みです。
全か無かの思考、ゼロヒャク(0-100)思考とも呼ばれます。
二分法的思考だけでは気分や感情にはそれほど影響なく、
そこに過度の一般化というもう一つの認知の歪みが組み合わさることで、自他に厳しすぎる認知が成立します。
「こうだ!」と断定できたり、『いい』、『わるい』と
はっきり分けられて、
世の中では一般的にはこうだと伝えるのが気持ちがいいと思う人いますよね。
『FACTFULNESS(著:ハンス・ロスリング他)』の中でも、
分断本能、単純化本能という傾向が人には備わっていると言っています。
白黒つけたいという欲求は、本能的・反射的な衝動といえます。
二分法的思考は、こういった衝動に根差した認知の歪みであり、さらに白黒思考は、二分法的思考と過度の一般化の組み合わさった認知の歪みです。
白黒思考の思考の歪みの修正方法としては、
ポイントは「良い-悪い」という評価軸に気づき、直観的に一般化するのをやめることだそうです。
また、ゼロヒャクの間の部分でいい塩梅と思える部分を増やすようにするのが大切のようです。
日本で生活していると
『 これの答えは? 』、
『 これはいいの?だめなの? 』という質問も最近多く受けます。
すぐに答えを求める。
もう少し思考して〜、想像して欲しいなぁ〜と思うのです。
私のいる看護や助産はもちろんエビデンスベース(根拠)が重要で、白黒つけなければならない看護・助産技術(薬剤量などは絶対です!)も存在します。
だけれど、人間を相手にしているので、ファジーでグレーな部分が多く存在します。
例えば、血液データなど客観的に数値化できるものが、正常値から逸脱していたら、×ばつなのか、といとそうでもないのです。
そこにはその人が生活してきた背景や、血液データなど、生きていた生活歴や家族歴、病歴などをトータルで看ていくことがとても大切!!
なのですが、多くのスタッフや学生さんは、最近では子育て中のママさんたちも、イエス or ノーを、すぐに答え求める方が多いなぁとつくづく感じます。
もちろん学生さんであれば、学生として学んでいる段階ですので、白黒つけるの大事かも知れないです。
でも、もう少し、ゆるみ?ファジーさ、想像、いい意味での曖昧な振れ幅をもってほしいなぁと感じます。
いろいろいい議論したいなぁと思います。なぜなら、お互いの考えを共有することで、両者や内容によっては患者さんによって有益なものになるので。
ニュージーランドに住んでいた頃は、よく弊社達也社長ともいろんな話題で議論したものです。楽しかったなぁ。
それはそうと、白か黒、イエス or ノー の二分法的思考習慣は、
自分を追い込み、自分を苦しめる状況になっても自分自身を緩める、許すことができない思考状態に陥り兼ねないと思うのです。
今、うつ状態などのメンタルヘルスの不調がなくても、この思考を続けていたり、環境変化に適応しなければならなくなったりしたとき、メンタル不調を引き起こす要因になるように思います。
デジタルネイティブとよばれる世代は、知りたいこともインターネットやSNSで答えがすぐに見つかる世代と言われています。
その慣習ですぐに答え、白か黒の結果を求めてしまう。
私個人の意見ですが、それはすごく便利なようで、自分の思考を狭めて苦しめているような気がします。
インターネットやチャットGPTからでなく、
本を読んだり、他者から情報を得たり、実際に訪れて感じ考えることがこころや思考を育てたり、いろんな人がいていろんな考えがあるんやなぁっと他者理解や自己理解から認知の違いを知る機会につながって、その人の振り幅になるのではないかと思います。
コロナもあって、行動に制限もあった世代ですから、更に難しい時代を生きぬいていることはよくわかります。
将来を生きる彼らに、私たちができることはないのか、余計なお世話と言われても大切なことは伝えていけるといいなぁと思っています。
なぜなら、私たち大人も無関心な人が増えている気がします。
そして、私自身も二分法的思考だったと思いますし、今もまだ白黒つけてしまうことはある。
しかし、ここ数年、自分の人生を謳歌しながら助産活動をしている友人など、素敵な人との出会いがあり、白黒ではないフレキシブルに対応する能力や生き方を学びました。
弊社達也社長からも、その人らしく生きていくことは何か、多くのことを学ばせてもらっています。
この場を借りて、社長ありがとう😊
これらの出会った素敵な人たちが、今の私のこころの安寧を築いてくれていて、ありがたい、感謝です🤍
最後に、ニュージーランドの多くの人は、イエス! or ノー!をはっきり言わない人が多いです。
特に男性かなぁ、、、、
私の学校の先生(男性)も絶対すぐにノーって言わないっていってました。
では、なんというかというと、
『ナ~(ノー)、イエ(イエス)、ナ~(ノー)イエ(イエス)、ナ~(ノー)』ってかんじで(やさしくゆっくり手のジェスチャーなんかもいれて表現)、最後にくることが結論です。
この場合はノーですね。
でも、この方が傷つかない気がしませんか?
相手の表情みながら悩みながら解答をする、時間稼ぎもありますね。
弊社達也社長も長らくニュージーランドに住んでいるので、この表現をよく使っていました。
ノーの時にこのナ~イエ~ナ~イエ、、、、っていうので、それを知っている私はノーですねと、すぐに理解できました。
でも、ときどき?私の表情を見て、最後がイエスのときがあったり?なかったり🤭
この表現、ニュージーランドぽくて、私は大好きです。
最近使ってないので、気持ち緩める意味でも使おうと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
今日も笑顔で💖
ファナウ のりこ
写真と内容は関係ないです
クィーンズタウンで撮ったお気に入りの写真です😘